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zoom RSS 遠野出身者の東京見聞128:子供は地域の宝

<<   作成日時 : 2014/10/31 22:51   >>

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 子供は地域住民のみんなの宝であると実感したのは、20数年前に高知県勤務で赴任した年、地元のラジオ放送で耳にした山間部のある集落住民の語った言葉を耳にしたときである。同県の奥深い急峻な山間部では当時すでに過疎化がかなり進んでいて、若者の姿が少なくなっていて消防隊も組織できない有様であったらしい。しかしラジオでその老人は次のように語った。消防隊が組めない不便よりもっともっと辛いことは、子供たちの声が全く途絶えて我々老人だけ残り、いずれ世の中が消えてしまうのではないかと思うと、限りない淋しさに襲われるという言葉であった。子供の存在はほかの子供たちも含めて地域住民に生きる希望を与える、みんなの宝物であると、実感した次第であった。
 
 東京新聞朝刊(H26年10月30日朝刊)によれば、子供たちの出す声を平穏を乱す”騒音”と考える都市地区の住民がいるそうである(練馬区で、私立保育所に近隣住民が子供たちの騒差し止めの訴訟を起こした。神戸市の例では、住民から保育所運営者相手に防音設備設置を要求する訴訟を起こした)。子供たちが遊びで出す声を工場の騒音と同じに扱うのはどうかと思う。隣と密着しすぎて極端な例では隣家の台所などが丸見えとなる住宅事情の現状では、訴訟に踏み切る心情が分からぬでないが、子供はみんなの共通の宝という意識で子供の可愛らしい”騒音”に対してもっと寛容になって欲しいものである。
 都心から電車で約1時間の距離にある、今でも辺りに田園風景が見られる狭山丘陵の一角に住まいする小生は、集合住宅住まいながら、いや集合住宅(マンッション)住まいなるが故に、下の学童路を登校する子供たち下校時に塊にになって帰る子供たちのさえずりがとても心地よい「ソウオン」として耳に響いてくる。老骨の身に元気の素となって作用してけれる、ありがたいことである。
 子供たち、明日の社会を担う子供たちに対してもっと寛容さと温かいまなざしを持ちましょう。

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
お説の通りです。子どもの声がそ「騒音」とは、なんとも自己中心的な、思いやりに欠ける心情としか言えない。近年、団地の構成も年代の違いを考慮しながら販売するそうですね。高齢者と子どもが共存するちいきをこうせい出来るように、ということです。企業といえどもそこまで考えて造成すべきです。もう一つ。私は犬の散歩をするのですが、近所の公園に「子どもが遊ぶところなので犬のオシッコをさせないために、散歩を禁止する」と来た。日本人の神経質さにはほとほと参ってしまう。こんな極端な無菌状態で子どもを育てて良いのだろうか。犬や動物とはずっと共存して生きて来たのです、人類は、という気持ちからの感想です。
denta
2014/12/23 12:17

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