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zoom RSS  シベリア慰霊訪問記 5.. シベリア鉄道初乗り

<<   作成日時 : 2016/06/30 13:35   >>

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  世界に名の知れるシベリア鉄道に乗った。初体験である。発車の13:47分に間があるので、ハバロフスク市郊外に在る日本政府建造の平和慰霊公苑を訪ねる。広大な敷地を有する霊園である。この一画に慰霊碑があり、最初の慰霊の儀を行った。慰霊碑の前に日の丸と協会幟を懸け、生花を供え、故人の遺影写真を掛けて、紙巻きたばこや日本酒など嗜好品をお供えする。慰霊準備完了で、市川団長による、ハバロフスクの地に眠る抑留犠牲者へのン街頭児が読み上げられる。続いて他のメンバーによる悼辞読み上げと神戸さんの般若心経読経、彼女の音頭での「異国の丘」の合唱と続いた。団長の悼辞の中身は濃いものであった。その要点を言うならば、抑留犠牲者の死は決して無ではなかった、戦後の苦難の時期を御霊のご加護があって、残された国民の精励、精進と忍耐で見事の乗り越えて来た、どうか安らかにお眠り下さいとう内容であったと思う。
 慰霊の儀を終えて、同じ境内にある赤レンガ造りの平和慰霊ドームを訪ねる。慰霊公苑を去る時に、厚労省慰霊訪問団とすれ違いになる(参加者には省から何がしかの資金援助があると聞く、省の職員3人が添乗している)。ここの慰霊公苑が出来る頃はこの辺が草の生える荒れ地だったそうだが、今は宅地化の波が迫っていおり、添乗員の岩岡氏によると近い将来は敷地が狭められるかもしれないと心配していた。
 まだシベリア鉄道発車時刻に間があるので、レーニン広場に寄る。18日昨日に続いてガイドのヴェリーナ嬢から詳しい説明を受ける。ここだけでなく、スターリン像は東ロシアではどこでも見当たらなかった。彼はドイツナチスのヒトラーと同じ運命を辿っているのかと思う。共産中国の毛沢東像は未だに健在、これは共産中国の後進性を示すと言える。
 四面を立派な建物が囲む。薄チョコレート色の旧医科大学及び附属病院、元共産党本部で現在は公務員アカデミーになっている建物、高層のハバロフスク州庁舎が三面を取り囲み、道路を隔てて日本人抑留者の建てた建物赤レンガ造りの建物がある。この建物前にレーニン銅像がある。以前は職業学校、市民病院として利用され、現在はオフィスビルに使われているそうだ。日本企業の事務者もこの中に入っているとのこと。州庁舎の屋根の上にはロシア国旗とハバロフスク州旗が高らかにはためいていた。

 ハバロフスク駅前に着き、発車を待つ。駅前は広場になっていて、ハバロフスク地方を最初に探検したと言う探検家の銅像が建っている。やっとシベリア鉄道出発となる。乗客が結構多い。列車は一応、特急列車である。我々は同じ車両のコンパートメント(仕切り小部屋)に各2人が入る。私は弘前氏と同室であった(15号車、第5室)。ドア付で、二段ベットと小テーブルの備えの狭い小部屋。バイカル湖見物の韓国人グループは各4人詰めであった。彼らはとにかく賑やかである。添乗員の岩岡さんはプロレスラーのような巨漢のロシア人客3人との4人詰めで、底なし飲んべいの彼等とは夜を過ごせぬと、我々の部屋の客人になった。
 韓国人集団には閉口する。小部屋からは声がする、広くもない一両しかない食堂車を長時間占拠する。お蔭で昼食と朝食を弁当にしてもらい、小部屋で食べた。また、晩食はずいぶん遅くとることになった。いやはや使いかねる隣人たちである。他の車中エピソードを幾つか以下に紹介しよう。

 @) ユダヤ自治州  この名が飛び込んできたので驚いた。ハバロフスクから西約200kmにある。かっては荒野の草原地帯であったが、スターリンによって強制移住をさせられてユダヤ人が入植して開拓した土地であるとのことである。しかしその後、多くのユダヤ人が都市部へ戻ったり、また第二次世界大戦前後から始まった、神から与えられていた約束の地パレスチナにユダヤ国家を再興すると言う建国運動に乗って新天地に移住する者が続出し、現在はユダヤ州のユダヤ人が少数であるそうである(以上はガイドブック「シベリア」からの情報)。
 パレスチナに住んでいた中東アラブ人からすると、2000年前にこの地を離れていたユダヤ人が今更この地は神が自分たちに当てた約束の土地だからと我が物顔に住み着くのは勝手過ぎる論理である。数年前にイスラエル旅行をした際に見た、パレスチナ先住民の居住地区をぐるっと囲い込んで建つ8mもの高い分離壁に衝撃を受けた。
国際協定を平気で無視して実力で、つまり圧倒的な武力でもってパレスチナ人を狭い所に閉じ込めている実態を目撃した。ユダヤ民族に対して愛憎の相反する感情を抱く。太古の聖書である創世記を未だに信奉し、守り続けているその時間スケールの壮大さや、科学や思想の面で数多くの世界的な貢献をしている人材を輩出していることなどは大いに敬意する。しかし、反面その執念深さ、狡猾には反感する。身近に接したことのあるユダヤ系アメリカ人学者を知っているが、個人的にはやはり相反する印象を抱く。彼はロシアからカナダに移住したユダヤ人家族の子息で、カナダの名門マギュール大学出身の神経心理学者である。医学系の世界的研究機関である米国国立衛生研究所の研究部門の室長をされている方である。
 A) 長い停車時間  覚えているだけで、スコウォロジの駅、アマザル駅、モゴチャ駅と10分から約20分と長かった。車外に出てシベリアの新鮮な大気を吸うとか、背を伸ばすとかするが、驚いたことに90歳を越える団長さんは腕立て伏せをしていた。寸時を惜しんで体力作りに励んでいた。小生も軽くストレッチ体操をする。停車時間が長すぎたモゴチャ駅ではあたりの風景をスケッチをした。どうして粉に停車時間が長いのか、電動だから給水のためでない、また乗降客が多いわけでもないので、理由がよく分からない。長旅の乗客に外気を存分に吸わせる計らいか、気分転換のサービスなのであろか。一旦乗車した後は、我が国の特急とは違い、検札はなかった。
 B) 車窓からの眺め シベリア鉄道の旅の魅力は、何と言っても限りなく広がる草原の自然である。あの童話『スーホー』の挿絵に見る大草原の図である。緩やかな起伏をなして地平線の彼方にまで広がる草原に見入った。所々に木々の生える奥日光の戦場ヶ原のような光景も目に入る.。広大な大地は耕地にもならぬままで、生えている木々は白樺や松、その他は灌木であり、いずれも建材には利用しにくい樹木である。建材としてもせいぜい壁板柵板に私用するくらいである。シベリア大地はまさしく不毛なる大地であると実感した。夜が更け、室内灯を消して窓外の夜空を見上げると、日本で観るよりもはるかに大きな北斗七星が煌めいキラキラと星が夜空一杯に輝いていた。これ待っていた光景である、昨今の日本では田舎でも滅多にしかお目に掛かれない星空であった。終戦年の晩秋、帰国の途にと騙さ れて貨物車に詰められ、長駆運ばれた先がシベリア奥地へであった列車の旅で、抑留者の方々も眺めた星空かと思うと胸が詰まる思いであった。しかしこれは私的な感傷かもしれない。ソ連軍は抑留者を有蓋貨物車に入れた後、外から施錠したと伝えられる。つまり外を見ることが出来なかった。それならば、なお胸詰まる思いである。シベリアの魅力ともいえる大草原の眺めも煌めく星空も見ることなく、しかも行先定かでない不安な長旅を強いられたのであった。
 C) ロシア人の家族連れ  祖母に連れられたロシア人家族、就学前らしいお兄ちゃんと3歳未満らしい妹との3人の組である。妹は狭い廊下を行ったり来たりと忙しく駆け回る。持参の飴玉を彼女に差し上げるが受け取らない。祖母や坊やの居る前でやるのに警戒しているようだった。そこで作戦を変更して、先ず祖母を攻略する。祖母が受け取るのに、それでも彼女は受け取らない。次にまた作戦を替えて、彼女が見ている所でお兄ちゃんを相手に飴玉を差し出した。兄さんは抵抗なく受け取り、ペロリと口に入れた。するとお嬢ちゃんは素直に手を差し出して私のプレゼントを受け取った。彼女は我が女性メンバーが折った紙鶴を手のしていたから、女性の異国人から素直に頂いていたようだった。人と人とは国籍の問わず、気持ちが通い合うものである。
 D) 壮健なロシア青年たち  夏とはいえ夕方になると車内も冷えてくる。しかし廊下を行きかいするロシア青年たちは上半身を裸にしている。寒さに慣れ、強いんだなと思う。女性たちも逞しい感じである。列車の乗務員は運転手以外が車掌を含めて女性であった。  
 


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