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zoom RSS  シベリア慰霊訪問記 9.おわりに・・・抑留者が残した偉大な遺産 

<<   作成日時 : 2016/07/12 14:38   >>

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 まず述べなければならないことは、無事に予定通りに慰霊訪問旅行を終えることの出来たことである。全日程、全員何事もなく終えたことである。協会の方々にお礼を申し上げんす。市川団長と添乗員の岩岡氏にお礼を申し上げます。
同行メンバーの皆様にお礼を申し上げます。上手な日本語でハバロフスク市内を案内してくれたガイドのヴェリューナさんと、ザバイカル地方専用バスで案内してくれたスルーチェゲイ運転手と助手のヤーナ嬢にお礼を述べます。ヤーナ嬢は私のロシア語発音を何度も優しく根気強く直して個人指導をしてくれた。(「シパシーバ、ザフィシー」;いろいろお世話になり有難うーロシア語綴りをローマ字で表すと、Spasibo za vse の " za vse ”ヴィシー”を直された)
 各地の慰霊訪問先での目撃見聞や団長から伺ったご自身の抑留体験談を通じて、抑留生活の厳しさと犠牲者の悲運の深さとを実感することが出来た。また、訪問先の地元民と接触して抑留日本字がシベリアに残した物、遺産というべきことを考える機会でもあった。以下にそのことついて述べたいと思う。
 日本人が70年前に建造した建物が今でも利用されている。また時代変化の浪で用済みになった建物があまりに頑丈で解体し兼ねて巨大な廃墟として残っている。地元ロシ人の間に、「日本字が造るものはしっかりして頑丈なものだ、彼らの物造りは優れていて見習うことが多い。やるとなれば手抜きせずしっかりとやり抜く凄い民族だ。」との日本人を畏敬する精神的な遺産をも残している。しかもこれを後世の世代へと語り伝えていると実感した。実際に接したロシア人は我々に対して好意的であった。最初の訪問先のブカチャーチャーの中年女性町長は明らかに日本敗戦の194年以降生まれの第2世代てある。また最後の訪問地ジブヘーゲンの女性村さんもその若さから見て第2次大戦後の生まれであることは明らかである。日本、日本人に向けられている敬意と好意は新世代のロシア人に確実に伝えられていると実感した。
 これに関連する市川団長直々の体験談を紹介しよう。団長が最初の抑留先の山間の鉱山で強制労働に従事していた時のこと、シベリアでは降雪があってもあまり積もらないそうである。積雪は30,40cmで、これが氷結して積もり、コンクリートのような数mを越える厚い氷層(ツンドラ)を成す。硬い氷層を鶴嘴で砕こうとすると鶴嘴の先刃が直ぐ丸くなって使えなくなる。ロシア人は新しい鶴嘴に替えるが、日本人は先を堅い岩石を砥石にして磨いて再利用する。団長は次に移ったチタの収容所では、努めて日本人の物造りの手際良さをロシアの兵士や地元民に披露,顕示して彼らの敬意を獲得して、チタでの収容所生活のレベルアップにつなげたそうである。例えば、彼らの家であるロッグハウス造りで隙間からの冷気防止に隙間に乾いた苔を詰め、その上に粘土を塗り付けする工法を見て、これじゃ直ぐ役立たなくなると見た。何しろ粘土の塗り付けに小さいヘラを使い、ペタペタ投げつけるように塗り、仕上げが厚い俎板みたいものをグーンと押し付けて仕上げとする。団長が日本式の手本を示して、以降、彼らからの受けル処遇が良くなったとの事である。
 親日感、日本文化の浸透の他の例を列挙する。
 @. ハバロフスク市内で日本車がよく目につく、日本車が多くは走っている。思わぬ日本製車も見かける。ロシアでも欧米式に左ハンドルであるが、右ハンドルの日本車を見かける。中古日本車である。
 A. 日本企業が進出している。ハバロフスク市内では国交回復後に青森県の陸奥銀行がいち早く進出していないの繁華街大通りに出店していた(現在は撤退。市内のレーニン広場に面した抑留者が建造した赤レンガのビルの中に現在日本企業が入っている。
 B. 日本人気は学生の外国語学習にも現れている。ハバロフスクにある東洋国立大学のマシニナ・アナスタシアさんによると、ハバロフスク国立教育大学外国語学部の日本学科の受験生数が115名(2006〜2009年)だそうである。また、日本国際交流基金の調査結果を引用してkロシア全国の高等教育機関で日本語を学ぶ学生の数が1976年は310名だったのが2006年には5453名に急増したと述べている(Froum of Language Instructors 33巻、2009年)。
 C) その他  スポーツや古武道の面でも日本文化が大流行である。ご存知の様にプーチンロシア現大統領が柔道の有段者である。空手、居合道のジムが看板がハバロフスク以外の都市でもよく目にすると岩岡氏が話していた。私は目撃、チェル二シュスク市のホテル前でに見た、「朝早起き三文得」氏の片語日本語やジブヘーゲン村の山間で出会った若者の日本語の掛け声のことを思い出す。

 シベリア抑留犠牲者の死は決して無駄死ではなかった。シベリアの地に、ロシアに日本人、日本民族の凄さと素晴らしさと、日本人に対する尊敬と憧憬と、根強い好感,好意お云う貴重なる精神的遺産を残したのである。現在も利用愛用されている筑70年以上の立派な建造物を入れて考えたらば、物心両面の誇るべき遺産を残しているのである。ここで思い起こされるのは、今は亡きかっての私の上司の故岩井榮一博士が米国国立衛生研究所(N I H)
在職中に共同研究者であったM..ミシュキン博士が日本滞在中の経験に基づいて語られた日本人観の言葉である。それまでミシュキン先生は、日本人を特徴付ける言葉としてIndustry, Intelligence の2語であったが日本滞在の経験から第3番目として Patienceを加えることにしたと述べた。

       Industry(勤勉) Intelligence(知性、聡明) Patience(忍耐、忍従)

 この3語は日本人の美徳、美点を言い当ている。そしてこの三語は抑留日本人に対してロシア庶民が抱き続けている日本人観である。
 最後にシベリア強制抑留死亡者慰霊訪問の旅行記としてまとめた、このシベリア紀行は浅学非才にしてはや老境に入った小生が渾身の力を込めて書いて敬愛する亡き長兄に捧げる書である事を申し述べる。
  
 

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
充実したお話です。
ホビー
2016/12/16 15:26
感動です^o^
あき
2016/12/16 15:27
本にしてほしいです。
なに
2016/12/16 15:29

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