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これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。 (擁也第六,20) 木村栄一氏の解釈が真意をよく伝えているように思われるので、紹介する。 学問、すなわち知の立場には認識、愛好、実践の3つの処理がある。 対象を知ることはそれを好むことには及ばない。 対象を好むことはこれと実際に接することには及ばない。 「これを楽しむ」は、自己が対象と一体化することである。 物事に対する関わり方の深度とでも言うべきことを指摘した言葉であると考えることが出来る。芸術への個人的な関わりを例に考えると孔子の言いたいことがよく理解出来る。クラシック音楽の知識を持っているというレベル、それが歌謡曲より好ましい音楽だと評価しているレベル、クラシック音楽を実際に演奏してみるレベルの3レベルでは関与の深度に格差がある。舞台の上で自分でも満足がゆくような演奏が出来たら、これは第3レベルに達している関わり方である。知識が豊富で、CDをたくさん買い込むたいへんな愛好者であるが実演は全くしない例は第2のレベルに留まっている。 孔子の言葉をもっと一般化して考えると、社会心理学が取り上げている態度の概念に結びつけることができる。すなわち、物事に対する上述の3レベルを態度を構成する3成分に置き換えてみることが出来る。我々は身の回りの事柄についてそれをどう認識し、どう評価し(感情的な評価)、実践上でどう行動をするかの3構成要素からなる心構えを内面に持ち合わせて生活している。これが「態度」 (attitude)である。政治的態度、宗教的態度、慈善事業に関する態度、代理出産に関する態度、外国人に対する態度、社外スッタフに対する態度、さらに大きくは人生や生死に関する態度等、自分で自覚している、して居ないに拘わらず我々は身の回りの諸事について予め心的な反応準備状態を内蔵しており、これらの態度を基にして生活上の行動を決めている。先に挙げたクラシック音楽に関する関わり方を態度の概念で言い表すとは、認識面と評価面と行動面の間のバランスの違いとして見ることが出来る。野党に好感を持ちその躍進を期待はするが肝心の投票日に悪天候を理由に棄権するようでは本物の野党支持者とは言い難い。 物事に対する人の態度や姿勢を判断する際に、態度の3構成成分とそのバランスを観ることが肝要である。 |
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