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zoom RSS シベリア慰霊訪問記 3.慰霊訪問団第一班ザバイカル班のメンバーたち

<<   作成日時 : 2016/06/16 15:30   >>

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 平静27年度の慰霊訪問団は6班であった。最低6名以上が参加する訪問地別に編成された。私は長兄が眠るザバイカル(旧チタ州)班に参加させてもらう。以下にメンバーの7名と、添乗員を紹介する。

 団長; 市川柾夫さん(静岡県浜松市、天竜川支流沿えに住まいする)、ご自身も5年間のシベリア抑留を体験されている。91歳の超高齢に関わらず、慰霊訪問のお世話を買っておられる方である。貨物車に詰められ、長駆シベリア鉄道でシベリアに運ばれ、下車後は6日間も掛けて山奥に在る鉱山にまで行進させられたそうである。行進中はソ連軍からは食べ物類一切支給されず、持参した自米の食料を食い繋ぎながら歩き続ける過酷な行程であったとのこと。しかもソ連兵から「シパチィー!シパチィ―!(急げ!急げ!)」と急き立てられながら歩行の道のりであったそうである。団長は憲兵と言う前歴から戦犯として鉱山出の過酷な採鉱作業で2年も苦労することになったと聞いた。この鉱山ではドイツ兵が働いていたが彼らはサボタージュなどして良く働かず、作業効率が悪いので日本兵の出動となったそうである。団長さんからは旅行中にいろいろと貴重な体験談を伺った。これらのことは後述する。
 メンバーで、団長の次に高齢なのはこの私である。
 菊池禮司; 岩手県遠野市生まれ。18歳で郷里を出て青森県、仙台市、東京、さらに南下して土佐の高知県、そのあと北回帰し、秋田県と言わば日本列島縦断?の旅をつづけ、福島県浜通りで5年ほど最後の務めをして埼玉県狭山市に終いの住処を据えている。名刺に記せる唯一の肩書は国立大名誉教授。
 
 他のメンバーの氏名は居住地名をそれぞれの仮名に使って紹介する。男性は他に2名で、弘前氏と名古屋氏。
 弘前氏; 亡き父親の遺言を実現するために参加したそうである。彼の伯父さんは陸軍将校として終戦の年に中国に赴任していたが終戦でシベリアに抑留され死亡されたとのこと。弘前さんとは旅行中はシベリア鉄道で同じコンパートメント、宿泊ホテルで同室となり、いろいろとお世話になった。
 名古屋氏; 慰霊対象の肉親、親族の方が居ないのに奇特にも参加した青年。名古屋ヤゴダ会会員として参加した。このヤゴダ会というのは、旧満州の新京特別市同徳台に在った満州国陸軍官学校(陸軍士官学校に当たる)の最期の卒業生が終戦でシベリアに抑留され、多数がうら若き命を落としたことを弔うためにその遺族や帰還者らが組織した犠牲慰霊の会である。名古屋青年は、この組織の立ち上げとその後の慰霊活動を主宰している人物が尊敬をしていたかっての恩師であることを知って自分も会員になったと語っていた。慰霊訪問は今回が初めでではないらしい。大変殊勝なことである。
 女性参加者は4名である。
 市川さん; 伯父さんの慰霊に参加、伯父さんは住友鉱山の測量技師として北海道に勤務していた時に徴兵になり、中国へ渡り、その後シベリア抑留となって翌年10月に亡くなられたとのことである。訪問団の中で彼女がガイドブック「地球を歩むシリーズ」のシベリア版の唯一の所持者であった。ハバロフスクについてガイドのヴェリゥーナさんからウラジオストクの地名由来の説明を受けた際、市川さんが補足説明をしてくれた。
 ウラジオストク;ヴラジホストク・ザヴァイ=東方・制服せよと言う、当時のロシア皇帝の命令を地名にしたもの。領土拡大策は旧ソ連共産国時代、そして現代の新生ロシアにも続く基本国策なのか、と思う。
 川越さん; 亡父が慰霊訪問地として最初に訪ねるブカチャーチャー炭鉱で亡くなっているとのこと、慰霊碑の前に亡父の美男の遺影を掲げていた。
 神戸さん; 関西弁を話す唯一の参加者、祖父の慰霊に参加で、以前も訪ねている。彼女もヤゴダ会員である(ヤゴダ会は名古屋以外にもある)。彼女は訪ねる慰霊訪問先で般若心経を朗詠し、しめは「異国の丘」の合唱の音頭取りをされた。
 鎌倉さん; 鎌倉さんには肉親、親族にシベリア抑留犠牲者は誰もいない。参加しているのは、彼女の亡父が名古屋ヤゴダ会の創設をなさった関係から亡父の志を継いで参加されているそうである。名古屋君とは旧知の仲。

 最後に添乗員の岩岡晴信氏; 彼は特異な経歴の主である。ロシア語達で厚労省の海外事業の通訳業務を担当し、イルクーツク市に滞在されてもいるロシア歴史や現代ロシア事情に詳しい方である。また彼は故鈴木宗男の許で北方2島における「ムネオハウス(友好の家)」にも携わっている。彼の亡父は戦前カラフトで警察官をしていたが戦後戦犯としてシベリアに抑留され、死亡したとのことである。したがって彼もシベリア抑留死亡者の遺族である。
このようなロシア事情に明るい添乗員に案内されたことは大変幸運であったと思う。彼からはいろいろと貴重な話を伺った。是非皆さんにも紹介したい話があるが、長くなるので次回に回す。





























































































































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